恩師

 私は小学校の6年生の時、すばらしい恩師の対馬先生に巡り合った。先生は病気がちで、1か月ほど遅れて赴任してきた。

 特異な行動をとる私に、先生は声を張り上げて怒ったり、殴ったりしなかった。穏やかな表情で言った。

「私も長いこと先生をやっているけど、君のような生徒は初めてだ。この先、先生を続けるためにも、君が何を思っているのか、話してくれないか。」

 私は独特な世界観を滔々と話した。私が自分の思いを話したのは、この時が初めてだった。それまでは、意味も分からず殴られることも、しばしばあった。

 価値観や行動規範が一様にみな同じであることを前提にしている人々にとって、当時の私の行動は不可解に違いない。私は周囲と異質の存在だったかも知れなかった。

 私は話すことで、絶対的な自己から相対的な自己が見えるようになったと思う。その大きなきっかけを与えてくれたのが、対馬先生だった。

 だが、私が中学1年の時、先生は亡くなってしまった。先生に”恩”を感じる頃には、恩師はいなくなっていた。

 私も当時の対馬先生と同じくらいの年にはなったが、果たして私は”善き聞き役”になれるだろうか?